ティファニーの伝説的鑑定士が愛した石。クンツァイトに秘められた「アメリカの夢」
ティファニーの副社長クンツ博士の名を冠した宝石、クンツァイト。アメリカで発見された奇跡のピンク色と、その価値を見出した男の情熱的な物語をご紹介します。

宝石の名前には、その石の色や産地に由来するものが多くあります。けれど、稀に「人の名前」を冠した石があることをご存知でしょうか。
クンツァイト。 その優美なライラックピンクの石には、ある一人の男性の名前が刻まれています。
彼の名は、ジョージ・フレデリック・クンツ。 20世紀初頭、あの ティファニー 社の副社長を務め、生涯でいくつもの新しい宝石を世に送り出した伝説的な宝石学者です。彼がいなければ、この美しいピンク色の石は、ただの「色の薄い岩」として見過ごされていたかもしれません。
今回は、アメリカ・カリフォルニアの鉱山から始まり、ニューヨークの華やかな社交界へと駆け上がった、クンツァイトと一人の男の物語をお届けします。
1902年、カリフォルニアでの運命的な発見
物語の舞台は、ゴールドラッシュの熱気が冷めやらぬアメリカ西海岸。1902年のことです。 サンディエゴ郡にあるパラ(Pala)という地区の鉱山で、不思議な結晶が発見されました。
それは透き通るような美しいピンク色をしていましたが、当時知られていたトルマリンやアメシストとは、どこか雰囲気が違います。発見者たちは首をかしげました。 「これは一体、何という石なんだろう?」
正体不明のその石は、すぐにニューヨークのティファニー本店へと送られました。当時、そこには「宝石の神様」とも呼ばれる最高の鑑定士、クンツ博士がいたからです。
本質を見抜いた「審美眼」
送られてきた石を手にしたクンツ博士は、すぐにその石がただならぬものであると直感します。 一見すると他愛のないピンク色の石。しかし、光を当てる角度によって色が濃くなったり、無色に見えたりする独特の「 多色性 」。そして何より、内側から溢れ出るような気品ある輝き。
彼は科学的な分析を行い、この石が「スポジュメン(リチア輝石)」という鉱物の、未だ知られていない変種であることを突き止めました。 それまでスポジュメンといえば、黄色や緑色の地味な石という認識が一般的でした。しかし、この新しい石は、誰も見たことのない美しいライラックピンクを持っていたのです。
「これは、間違いなく宝石の歴史に残る発見だ」 彼の審美眼が、原石の中に眠る可能性を見出した瞬間でした。
その名は「クンツァイト」
翌年の1903年、化学者のチャールズ・バスカービルによって、この新種の宝石は正式に命名されます。 発見から鑑定まで、その価値を確立するために情熱を注いだクンツ博士に敬意を表し、その名は「クンツァイト」とされました。
自分の名前が宝石になる。それは宝石学者にとって、これ以上ない名誉であり、永遠の証です。 しかし、クンツァイトが特別だったのは、それが「アメリカで発見された、アメリカの宝石」だったという点にあります。
当時の高級宝飾品といえば、ルビーやサファイアなど、アジアやヨーロッパからもたらされる伝統的な宝石が主流でした。そんな中で、新興国であるアメリカの大地から、これほどまでに美しく、気高い宝石が見つかったこと。それは当時の人々にとって、まさに「アメリカンドリーム」の象徴のように映ったに違いありません。
ティファニーがかけた魔法
クンツ博士が在籍していたティファニー社は、さっそくこの石を大々的に売り出しました。 彼らがつけたキャッチコピーのひとつに、こんな言葉があったと言われています。 「カリフォルニアの夕暮れを閉じ込めた石」
そのマーケティングは見事に成功しました。 ダイヤモンドよりも柔らかく、上品なピンク色は、当時の社交界の貴婦人たちを虜にします。特に、夜会のキャンドルの灯りの下で妖艶に輝くその姿は「イブニング・ストーン」として愛され、アメリカの新しい豊かさを象徴するジュエリーとなりました。
もしクンツ博士がいなかったら、あるいは彼がティファニーにいなかったら。 クンツァイトはただの「ピンク色のスポジュメン」として、博物館の隅にひっそりと展示されるだけの存在だったかもしれません。
100年の時を超えて受け継ぐ「情熱」
ジョージ・フレデリック・クンツがこの世を去ってから、長い年月が経ちました。 しかし、彼が愛し、その名を捧げた石は、今も変わらぬ美しさで私たちの手元にあります。
クンツァイトを身につけるとき、ふとこの物語を思い出してみてください。 そのライラックピンクの奥には、未知の美しさを追い求めた一人の男の情熱と、新しい時代の幕開けに胸を躍らせた人々の夢が詰まっています。
歴史を知ると、宝石はもっと輝いて見える。 クンツァイトは、そんな「知る楽しみ」を教えてくれる、知的な大人のための宝石です。




