涙を受け止める優しい光 | 月の雫の記憶 vol.3
御木本幸吉の革命から、現代の冠婚葬祭まで。なぜ真珠は葬儀で許される唯一の宝石なのか。悲しみも喜びも分かち合うパートナーとして、今あなたの鏡台に眠る真珠が伝えたい、愛とお手入れのメッセージ。

「真珠を育てる」という革命
時代は下り、私の運命を大きく変える出来事が、日本の海で起きた。 19世紀末、御木本幸吉という男が、「人の手で真珠を作ることはできないか」と夢見た。 それまで、私は偶然の産物でしかなかった。いつ採れるかも、どんな形かもわからない、神の気まぐれ。それを人間の手でコントロールしようというのだから、当時の常識からすれば狂気の沙汰だったでしょうね。
赤潮による貝の全滅、周囲からの嘲笑、莫大な借金。 それでも彼は諦めなかった。そしてついに、アコヤ貝の中に丸い核を入れ、真珠層を巻かせることに成功した。「養殖真珠」の誕生よ。これは単なる技術革新ではなく、宝石の歴史における革命だった。一部の王族しか見ることのできなかった私が、一般の人々の元へ行けるようになった瞬間。
今、あなたが手にするパールのネックレスは、この先人たちの血の滲むような努力と、日本の美しい海、そして海女さんたちの献身があったからこそ存在している。天然だろうと養殖だろうと、貝が命を削って層を巻くというプロセスに変わりはない。私は依然として、生き物が生み出す奇跡なの。
涙を受け止める、唯一の宝石
現代において、私は少し特殊な立ち位置にいるわ。結婚式のような祝いの席はもちろんのこと、葬儀という悲しみの席でも身に着けることが許されている、数少ない宝石として。
なぜだと思う?それは、古くから私が「涙の象徴」とされてきたから。 「人魚の涙」「月の雫」。静かで控えめな輝きは、華美に主張しすぎず、悲しみに暮れる人の心にそっと寄り添う。派手なカッティングで光を反射するダイヤモンドやルビーは、悲しみの場には眩しすぎる。けれど、私の乳白色の光は、まるで蝋燭の灯りのように、見る人の心を落ち着かせる力がある。
あなたが黒い服に身を包み、言葉にならない悲しみを抱えている時。あなたの胸元で、誰よりも近くその鼓動を感じているのは私。「泣いてもいい。私がその涙を受け止めよう」 そんな思いで、私は静かに輝いているわ。
鏡台の奥で、あなたを待っている
最後に、私との付き合い方について少し話しておきましょう。私は生き物から生まれた宝石だと言った通り、実はとてもデリケート。あなたの汗や、化粧品の酸、ヘアスプレー、これらは私の肌を曇らせる天敵。でも、怖がる必要はないわ。使い終わったら、柔らかい布で優しく拭いてあげるだけでいい。たったそれだけで、私は何十年もあなたのそばにいられるの。
母から娘へ、そして孫へ。「糸替え」をしてネックレスを受け継いでいく文化があるように、私は世代を超えて愛されることができる。その時、私は前の持ち主の思い出も一緒に記憶して、次の世代へと渡っていく。
今、私はあなたの鏡台の引き出しの中で、静かに眠っているかもしれない。特別な日でなくてもいい。白いシャツに合わせたり、ニットの上から着けたり。もっと気軽に私を連れ出してほしい。あなたの体温で温められたとき、私は一番美しく輝くことができるのだから。
さあ、引き出しを開けて。 私はここ。 悲しい時も、嬉しい時も、あなたの人生のすべての瞬間に寄り添うために。
【Jewelism コラム:技術革新と「涙」のマナー】1893年、御木本幸吉が世界で初めて半円真珠の養殖に成功し、その後、見瀬辰平や西川藤吉らの技術も合わさり、真円真珠の養殖技術が確立されました。これにより、真珠は「王族の宝石」から「万人の宝石」へと民主化されました。「養殖=偽物」ではありません。核を入れるきっかけを人間が作るだけで、層を巻くのはあくまで貝の生命力です。真珠が葬儀で着用を許される(推奨される)理由は、その輝き方にあります。ダイヤモンドなどの ブリリアントカット が「光を反射・拡散」させるのに対し、真珠は「光を吸収・内包」するような控えめな輝きを持ちます。これが「涙の象徴」として、故人を偲ぶ場にふさわしいと定着しました。(※地域や宗教によりマナーは異なりますが、黒真珠や白真珠の一連ネックレスは、悲しみの席での正装として広く認知されています)









