ルーヴルに眠る「サンシー・ダイヤモンド」の数奇な運命。命を賭した忠誠の輝き。
フランスのルーヴル美術館にあるダイヤモンド「サンシー」。その輝きの裏には、石を飲み込んで守り抜いた従者の命がけの忠誠心と、欧州王室を転々とした数奇な歴史が刻まれています。

ダイヤモンドと聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。
愛の誓い、富の象徴、あるいはレッドカーペットでフラッシュを浴びる煌びやかな世界。現代において、ダイヤモンドは「幸せ」のアイコンとして語られることがほとんどです。
けれど、少し歴史のページをめくってみると、その硬い石には、血なまぐさい争いや、人間の業(ごう)とも呼べる深い執着が刻み込まれていることに気づきます。美しいものには刺がある、とはよく言ったものですが、ダイヤモンドの場合は刺どころか、時には人の命そのものを吸い込んでしまうことさえあるのです。
今日は、そんなダイヤモンドの影の部分、しかし人間の「尊厳」が強く輝いた、ある一つの石の物語をお話ししましょう。その石の名は「サンシー(The Sancy)」。
今はパリの ルーヴル美術館 で静かに眠るこの石が、かつて一人の男の胃袋の中から発見されたという事実を、皆さんはご存知でしたか?
55カラットの淡い黄色
まず、この石のプロフィールを少しだけご紹介します。
「サンシー」は、約55.23カラットのダイヤモンドです。大きさもさることながら、特徴的なのはその色と形。完全な無色透明ではなく、ほんのりと淡い黄色(ペールイエロー)を帯びており、カットは現代の主流である ブリリアントカット ではなく、「ダブル・ ローズカット 」という珍しい形をしています。
表面に無数の三角形の ファセット が施されたその姿は、ギラギラと光を跳ね返すというよりは、内側から静かに光が溢れ出してくるような、どこか神秘的な雰囲気を漂わせています。
この石が歴史の表舞台に登場したのは16世紀後半。持ち主は、フランスの外交官であり宝石コレクターでもあった、ニコラ・ド・アルレー、通称「サンシー卿」でした。石の名前は、この持ち主の名に由来しています。
王のために放たれた使者

時は16世紀末、フランスは宗教戦争の混乱の中にありました。 後のフランス国王アンリ4世は、王位を確実なものにするため、傭兵を雇う莫大な資金を必要としていました。しかし、国庫は空っぽ。そこで頼ったのが、財務総監も務めていたサンシー卿です。
「卿の自慢のダイヤモンドを担保に、スイスでお金を借りてきてくれないか」
王の頼みを断るわけにはいきません。サンシー卿はこの貴重なダイヤモンドを、王の使者としてスイスへ送ることにしました。しかし、こんな巨大な宝石を無防備に運ぶわけにはいきませんし、かといって大げさな護衛をつければ「ここに宝がある」と宣伝しているようなものです。
そこで彼は、もっとも信頼を置く一人の忠実な従者に、この任務を託すことにしました。 「決してこの石を奪われてはならない。頼んだぞ」 従者はその命を受け、ダイヤモンドを懐に忍ばせ、たった一人で危険な旅路へと出発したのです。
帰らぬ従者と、主人の確信
しかし、約束の日になっても従者は目的地に現れませんでした。
「持ち逃げしたのではないか?」 周囲の人々はそう噂しました。高価な宝石を目の前にして目が眩み、そのままどこかへ消えてしまったのだと。人間ならあり得る話です。
けれど、サンシー卿だけは頑としてそれを信じませんでした。 「彼は誠実な男だ。彼が来ないということは、死んだということだ」
卿は捜索隊を出し、従者が通ったと思われるルートを徹底的に洗わせました。そしてついに、ジュラ山脈の森の中で、無残に殺害された従者の遺体が発見されます。彼は強盗団に襲われ、命を落としていたのです。
遺体の衣服は剥ぎ取られ、荷物はすべて奪われていました。もちろん、懐にあったはずのダイヤモンドも見当たりません。 やはり奪われたのか。誰もがそう諦めかけたとき、サンシー卿は驚くべき指示を出します。
「彼の腹を割いてみろ」
胃袋から現れた「忠誠」
解剖の結果、その場の全員が息を呑みました。 血にまみれた従者の胃袋の中から、あの淡い黄色のダイヤモンドが、ごろりと出てきたからです。
強盗に囲まれた絶体絶命の瞬間、彼は悟ったのでしょう。戦って勝つことはできない、逃げることもできない。ならば、どうすれば主人の言いつけを守れるか。 彼はとっさに、55カラットもの巨大な石を飲み込んだのです。
自分が殺されることは分かっていたはずです。それでも、殺されて遺体が打ち捨てられれば、強盗たちは腹の中までは探さないだろう。いつか主人が自分を見つけ出してくれれば、石は主人の元へ戻る——。
「宝石はただの石ころか、それとも命をかける価値があるものか」
現代の私たちの感覚では、たかが石一つのために命を捨てるなんて、狂気の沙汰に見えるかもしれません。しかし、当時の彼にとって、その石を守ることは「忠義」という名の、自身の生き様そのものだったのです。
サンシー・ダイヤモンドの輝きは、この瞬間から、単なる 炭素 の結晶の輝きではなくなりました。一人の名もなき男の、凄絶なまでの魂の輝きを宿すことになったのです。

ヨーロッパを彷徨う「放浪の石」
従者の命と引き換えに守られたサンシー・ダイヤモンドですが、その後も安住の地に留まることはありませんでした。まるで、主人の手を離れた寂しさを埋めるように、ヨーロッパ中の王室を転々とすることになります。
アンリ4世の資金源となった後、英国王ジェームズ1世の手に渡り、清教徒革命で追放された王族とともに再びフランスへ。太陽王ルイ14世の王冠を飾り、ルイ15世、ルイ16世と受け継がれ、フランス王妃マリー・アントワネットもその輝きを目にしたことでしょう。
そしてフランス革命。王室の宝物庫が襲撃され、サンシーはまたしても行方不明になります。ロシアのデミドフ家の手に渡ったり、インドの富豪が所有したりと、世界中を旅しました。
それぞれの時代で、それぞれの権力者がこの石を所有しましたが、彼らは知っていたでしょうか。その石が、かつて一人の従者の胃の中にあったことを。そして、その男が守り抜かなければ、今彼らの手元にその輝きは存在しなかったことを。
今、ルーヴルで会える伝説

波乱万丈の旅を続けたサンシー・ダイヤモンドは今、故郷とも言えるフランスに戻っています。 1978年、最後のアスター家の所有者からフランス政府に売却され、現在はパリのルーヴル美術館「アポロン・ギャラリー」に展示されています。
豪奢なガラスケースの中で、サンシーは静かな光を放っています。 もしあなたがルーヴルを訪れ、この石の前に立つ機会があったなら、その時は石の値段やカラット数だけでなく、その奥にある物語を思い出してください。
かつて、自分の命よりも約束を重んじ、冷たい森の中で息絶えた男がいたことを。 その淡い黄色の輝きは、数百年の時を超えて、私たちに問いかけているような気がします。
「あなたには、命をかけても守りたいものはありますか?」と。
歴史を知れば、宝石はもっと美しく、そして切なく輝き出します。サンシーはまさに、そんなダイヤモンドの奥深さを教えてくれる、唯一無二の存在なのです。
【本記事の出典・参考資料について】 本記事で紹介したサンシー・ダイヤモンドの歴史および従者の逸話は、現在同石を収蔵するルーヴル美術館(Musée du Louvre)の公式資料、および GIA (米国宝石学会)の記録に基づいています。歴史的なエピソードには諸説ありますが、最も広く知られている伝承を採用しています。









